チャンバラ

子供の遊び 「チャンバラ」

昭和30年代は決して豊かではなかったけれど、皆明るく元気でした。

校庭はもちろん、山や川、原っぱや道端、神社や寺の境内、工事現場でさえ自由に遊ぶ 子供たちであふれていました。

kodomo56txt今振り返るとまさに子どもの時代だったのです。

兄弟姉妹がいて、近所には沢山のお友達がいました。

宿題も少なく、塾なんかもありません。

子供たちは、おもちゃも買えなかったけれど、遊ぶ時間だけはたくさんありました。

皆遊びの天才でした。

「○○ちゃ~ん、ご飯だよ~!早く帰ってきなさい!」とお家の人の呼ぶ声がするまで、毎日、朝日の中から、日が暮れるまで夢中になって遊んでいました。

昭和30年ごろになると、色んな娯楽設備なども出来始め、映画が封切りになると映画館は連日満員となるほど、大ブームが巻き起こりました。

その影響なのでしょうか、男の子はチャンバラごっこが大好きでした。

家の中でさえ、ものさしや棒などの長いものを見つけると、すぐに刀に見立てて、チャンチャンバラバラ振り回し、侍ごっこを始めたのです。

風呂敷や手ぬぐいも、マントやはちまきにはやがわり!。

時々大切な物を持ち出したり、壊したりして、大目玉をもらい、得意顔もつかの間に、泣きべそ侍に変身?そんなほほえましい子供の姿が、そこかしこに見られました。

昭和32年、ある日曜日のこと、市内にある水道山へ撮影に出かけたときのことです。

腕白坊主たちが集まり、張り切ってチャンバラごっこの真っ最中に出会いました。

そこは岩場でいかにも格闘場面としては最高の場所でした。

子供たちは、切ったり切られたり、「我こそは正義の味方なり!」と大声を張り上げて 「今日は俺が中村錦之助だ!」「俺は片岡千恵蔵だぞ!」「俺様は東千代之助なり~!」と次々に当時の人気スターになりきり、映画の一こまを得意満面で演じていました。

岩から岩を飛び越えたりする様子に、はらはらドキドキしながら、私も負けずに、名カメラマンになったつもりで、真剣勝負をカメラに収めようと夢中で追いかけました。

青空の下、子供たちの明るい元気な声が山にこだましていました。